Column ひとこと

日本の都市・建築デザインと文化2008/12/02

現代日本のほとんどの都市空間は混乱しているように思われる。街を眺めると様々な建築デザインが氾濫し、野放しのポスターや看板が我が物顔にはびこっている。かつて日本の都市や街・村には、ひとつの秩序を持って美しい景観や、心地よい空間が存在していたと思われる。いつの頃から無秩序な混沌とした都市空間になってしまったのだろうか。
戦後の日本の経済は高度成長の時代を向えた。その頃から日本の都市の機能が急変したと思われる。その点に注目し、その時代の日本の都市・建築デザインを概観することを通し、その根底に流れている日本の風土・文化を考察したいと思う。そこから今日の都市・建築デザインの問題点を把握できるのではないだろうか。

1960年代の日本は高度経済成長の真っただ中にあり、建築界ではメタボリズムの理論がもてはやされた。当時この理論は世界的に注目され、その理論の実践がなされた。
メタボリズムとは生物学用語の新陳代謝を意味する英語に由来している。1960年に東京で「世界デザイン会議」が開催されたのを契機に、評論家の川添登を中心に、黒川紀章、菊竹清訓、大高正人、槙文彦らが集まり、メタボリズムグループを結成した。同年刊行した「メタボリズム1960」には「来るべき社会の姿を具体的に提案」し、「歴史の新陳代謝を自然に受け入れるのではなく、積極的に促進させようとする」グループの理念が宣言されている。その後、各建築家が計画する建築の中にその理念は具現化されていった。建築の全体を、階段や廊下などの骨格部分と設備や各部屋の可変部分とに分け、古くなった可変部分を取り替えることで建築の新陳代謝を図ろうとしたことに特徴がある。
なぜ、日本にメタボリズム理念が起こったのであろうか。何か特別な背景があるのではないだろうか。日本の急激な経済成長は世界的にみても特異であった。高度経済成長の時代にあって、建築工事も増大化した。そして、それらの建築物は産業活動の変化に順応し、都市構造やあらゆるシステムの変化に対応する必要性に追われた。その結果としてメタボリズムの理念が生まれたのではないかと思われる。しかし、そのことばかりでなく、日本の文化的土壌にも、もう一つの要因があるように思われる。

西洋の建築は石造りが主流であった。教会建築などは日本の建築とは比較にならない年月をかけ建造されている。西洋の人々の精神には、都市や建築は恒久的に存在するものという観念があり、石の文化ともいうべきものが形成された。
日本の伝統的建築は木造である。そのことは日本人の都市や建築に対する考えを、西洋のそれとは違った方向に向かわせたのではないかと思われる。日本人の都市や建築に対する観念には恒久的に存在するという考え方は希薄である。たとえば、武家社会以前では政治の中心である都はたびたび遷都され一新された。武家社会になってからは京都が都として存続する訳であるが、政治の中心は鎌倉、室町、江戸と変遷している。現代においても遷都論が浮上している。
また、伊勢神宮に代表される式年遷宮も興味ある伝統である。これは二十年ごとに御正殿をはじめとするすべての社殿を隣の同じ広さの宮地に建て直し、神々が移るのである。
今からおよそ1300年前に天武天皇によって定められたこの制度は、なぜ二十年に一度なのかの説は様々ある。当時の人の寿命から技術や信仰を伝承するにも二十年というのは精いっぱいの年限だったことや、稲の最長貯蔵年限が二十年ぐらいだとする説など諸説がある。いずれにしても、それぞれの時代に生きる人々の節目の二十年ごとに式年遷宮はやってくる。消滅することで技術や信仰を永遠のものとしたのである。
遷都と遷宮の例を挙げた。これらは自然の素材を利用することで一つの秩序が形成された時代であったのだ。また、これらの伝統は日本の自然や風土、そして宗教観、神道など様々な要因からもたらされたものと思われる。日本人の自然観と神道は深い関係にある。
日本の川は西洋の川と比較すると細く急流である。川はよどむことなく大地を浄化するのである。日本人は自然と共生し、その浄化力に期待していたのではないだろうか。神道においても浄化(清め)の精神がある。遷都や遷宮はその浄化する精神の具現化されたものではないだろうか。

次に、これらの伝統は先に記したメタボリズムとどのように関係するのか、私観を記したい。
メタボリズム(新陳代謝)は、新しいものが古い物に取って代わることであり、簡単に言えば、何を入れて何を出したかということである。このことは自然界の循環機能や浄化作用と非常に近い関係があるように思われる。
日本の文化は自然との共生の上に成り立っていた。そうした風土、文化的土壌があることによって、はじめてメタボリズムの理念が生まれたのではないだろうか。
そして、メタボリズムの創設メンバーによって様々なプロジェクトが提案され、また実現された。しかし、その運動は急激に終息してしまう。それは、新陳代謝がうまく機能しなかったのではないかと考えられる。いわゆる使い捨ての理論となってしまったのである。
黒川紀章は後に、「メタボリズムは消費の建築ではない。リサイクルの発想の先取りであった。」と語っている。
しかし、当時は公害問題が発生し、資源の有効利用、環境保護等の考えからメタボリズムの理念を論じることすら批判される社会的状況であったように思われる。

日本の風土や文化的土壌は数々のすぐれた芸術や美術を生み出した。今、日本の都市空間を見るとき、確かに個々の建築物はデザイン的に優れているものも存在する。しかし、それらの建築は飛び抜けて自己主張するか、その他の建築に埋没させられているように感じられてしまう。このことは日本人の都市や建築に対する意識が、西洋のそれとは根本的に違っていることからくるのではないか。先に見たように、日本人の精神には都市や建築はいつか消滅し浄化されるという意識が潜在的にあるのではないだろうか。
現代社会において人類の破壊的行為や巨大な生産力は今まで実感し得なかった状況をもたらし、自然の新陳代謝は危機に直面している。
メタボリズム以降は世界的にポストモダンの建築が流行した。日本ではバブル経済と相まって、あらゆる過去の建築様式の模倣が繰り返され、張りぼて式の建築が氾濫した。これらの建築は果たして何年存在するのであろう。バブル経済の時に何百年と耐えうる社会的財産の充実がなされなかったことは非常に残念なことだと思う。これも、日本人の都市や建築の恒久性に対する意識が欠如していた為ではないだろうか。
自然の浄化力に多くを頼ることは、もはや拒否されているのである。そのことを現代日本人は強く意識することが、今後の都市・建築デザインに必要なことなのではないだろうか。それは、一建築家にまかせるのではなく、日本人全体の都市・建築への意識を深めることである。日本人の美意識は世界的に認められており、個々の美意識を社会的にどのように参加させるかが、今、問われているのではないだろうか。

by Taguchi